raging oedipus | long island sound

raging oedipus

道路に沿ってサイクリングをしながら、時々自転車を停めて写真を撮っていた。というか、実際にそうしていたかどうかは不明だが、とにかく夢の中ではそれは確実な記憶として頭の中で定着していた。曲がりくねった道路は左右に緩やかな弧を描きながら港まで続き、そこで大きな橋梁になっていた。橋は急な坂道でずっと高いところまでのぼっていたが、岸から数メートル離れたところまでしか続いていない。どうやら工事中らしくて、その隣に巨大なクレーンが聳え立っている。


そこまでは何ともない、ごく普通の光景であるが、これからはちょっとへんてこで、うまく説明できるかどうかが分からない。


大抵のデジカメがそうであるように、俺のカメラには画面がついていて、撮った写真を再生して見ることができる。それで自慢じゃないけど、俺のカメラは再生するのがやたらに早くて、スクロールボタンを押し続けたらソニックブームが出てきそうな速度で写真を次から次へと画面に映していく。沢山写真がメモリーに入っていると、まるで映画を見ているように錯覚する。


さて、夢の話に戻るけど、気がついたら俺は何らかの理由で宙に浮いていた椅子に座っている。結構な高度だし、椅子が狭いし、少し怖い。でも恐怖に囚われているという訳ではない。死なないように気をつけよう、とのんきに思って椅子の両側に掴まっているだけだ。そしてものすごいスピードで椅子は俺の撮った写真に写っていた光景を、まるでカメラの再生機能がそうするように、順に辿って飛び出す。揺れが激しく、危なっかしくて死ぬかと思った。背景にニュース中継が聞こえるが、何を言っているのかさっぱり分からない。ジェットコースターみたいに道路の上を飛んで、港まで飛んで、クレーンの上まで飛ぶ。そこまで飛んで、橋を海の上から見ながら、椅子は急に落下し始める。でも単に落ちているということではない。今度はその凄まじいスピードで海底をめがけて加速しているのだ。ニュース中継のアナウンサーの言っていることが少しだけ聞き取れる。「…plunged to a depth of 20,000 feet…」とても不吉な予感がする。俺は海面を突破して、底へと引きずられていく。強烈な圧力が身体を内側から破裂させる。鼻やら口やら目から血が吹き飛んで、目の前に濁った海水に滲むのを見ながら、俺はすごく不安になった。駄目だ、まだ死んじゃいけない、やることがまだあるんだと心の中で叫ぶ。でももう遅い。視界が暗んでいき、死がもうすぐそばに来ているのを実感する。そして諦めがつく。まあいいや、死んでしまえば悔しがることだってできやしないからな、と。そして限りない暗闇が視界を被って、思考が停止する。落下し始めてから3, 4秒後で全てが終わった。


次の瞬間に目が覚めた。ベッドの中で仰向けになっていた。俺にとっては大変珍しい姿勢であった。暫くそのまま天井を眺め続けた。感想が二つ。一つ、やることって一体何のことだったのか、どうしても思い出せなくて、気になる。二つ、椅子を離せばよかったのに。


考えてみたら3秒にしては実にいろんなことについて考えていたな。それに、実際に死んだこともなければ誰かが死ぬのを見たこともないのに、よくあんなにリアルな夢が見られるものだ。


朝御飯を食べて、シャワーを浴びて、1時間ほど勉強してから授業に出かけた。駅に行く前に近くの神社に寄ってみた。死んでしまえば何もかもが終わっちまう儚い人生なんだから、適当にやって、アメリカに帰ってまる1年間じっくり休もうじゃないか、と歩きながらずっと考えていた。とても説得力のある提案だ。死ぬ前にやらなきゃいけないことって別にないし、俺の兄弟だって皆家でぐずぐずしているから俺もそうやって両親に甘えてもいいはずだし、LIで暮らしていた時はとても幸せだったし。


でも授業に行ってから事態が一変した。今日は理工学部の1年生の学生を対象に行われる化学の授業だった。それがもう面白くて楽しくて、人生は無意味だなんて言わせまいといわんばかりにパワフルな講義だった。入念に作られたスライドに記号がずらっと並んでいて、「今は理解しなくても結構ですので」と先生が何回も言いながら説明していく。「1ヵ月後はこのような計算が簡単にできるようになっていただきます」努力が報われる素敵な世界だった。「これが理解できなくて大丈夫ですから」それに熱力学の法則を大学や資本主義社会に例えたりする。冗談はどれも笑えない酷い代物だが、それが却ってとても魅力的に感じる。「とにかくノートに書いてください。今は分からなくてもいいんです」


授業が終わってから電車に乗って帰った。ファミレスに行って昼食を食べ、寮に帰って、トイレに行った。そして排泄行為を行った。排泄行為。