just keeps getting longer, folks | long island sound

just keeps getting longer, folks

火曜日ということで、11時に授業に行った。宇宙の科学(for dummies)。宇宙科学の最先端の研究を、文系の人間に分かっていただけるように、カンタンな言葉で説明する講義である。教授は伊藤直紀という飛びっきり素敵な人で、教壇に立った途端に俺は一目惚れしてしまった。赤い綿のベストにツイード・ジャケット。度の強そうなでかい眼鏡。手をポケットの縁にかけながら講義を行う。特に必要がないのに英単語を沢山使うのがトレードマーク。「星、starね」


この授業は非常に面白かったし、教科書も(伊藤直紀著)楽しく読んでいる。文章のまわりにある余白がちょうど俺好みで、内容も今まで勉強した物理学でも充分理解できる。波はとことん勉強しておいたので、宇宙における距離の測定方法についての話が一層面白くなる。でも、世の中の万物についてもそうであるように、俺は多分内容があまり理解できていないと思う。勿論ある程度は理解しているつもりだ。漢字が読めるし、単語の意味も一応分かっていると思う。理論としてもあまり難しくない。そうか、ハッブルはドップラー効果の原理を踏まえて宇宙の膨張を測定したんだ、など納得したり、なるほどと思ったりもする。


だが俺は3年間日本語を勉強してきた人間だ。納得することと理解することが全く違うことぐらい、もう分かってるさ。なあに、こんなときに「は」、こんなときに「が」を使えばいいだろう?そんなの簡単さ、と思えば実は全く逆だったりしてさ。一度聞いたくらいで分かったって?そんなうまい話があるものか。何かを本当に理解するまでは延々に分かろうと苦労しなければならない。そしてそれでも間違えてしまう。


セファイド型の規則変光星の明るさが一定で変化していて、その周期はどのセファイド型の星に関しても明るさの変化と同じ関係にあるのだとしたら、なるほど観測できる距離(100パーセク)以内の星Aの放出する光とその範囲外にある星Bの放出する光を比較してみれば、100パーセク以上離れている位置にあるBまでの距離が求められる。まあ、当然と言えば当然だろう、と思ってちらっと図を見て、ページをめくる。でもそんなこと、明日目が覚めたらもう忘れているに違いない。三角測量?何じゃ、そりゃ。


ちなみに1パーセクは約3.26光年である。


そう言えば、スター・ウォーズ にはこんな台詞があったっけ?


"It's the ship that made the Kessel run in less than twelve parsecs!"


ハン・ソロが愛機のミレニアム・ファルコン号について自慢しているシーンだが、教科書でパーセクの定義のところを読んでふとこれを思い出した。おやっ?パーセクが距離の単位だというのに、なんで距離が定かであるはずのレース・コースに対して使っているの?近道でもしたのか?それじゃ自慢にならないじゃないか。


インターネットで調べてみたらこれはジョージ・ルーカスのミスだったというのが有力説だ。しかしExpanded Universeというスター・ウォーズの世界を設定に書かれた小説シリーズでは、或いはこのミスを補うべく、例のケセル・ランとハン・ソロの失言に関しては説明があるらしい。ケセル星を出発点にするケセル・ランの付近にブラック・ホールの群集があるらしくて、歪められた重力や重力の特異点(光がのみ込まれる所)など、さまざまな危険を避ける為に長くて複雑な経路を航行しなければならない。しかし我武者羅なハン・ソロは、ブラック・ホールの間を擦り抜け、安全なルートより遥かに短い12パーセクという距離でケセル・ランを見事に走り抜いたという。特異点の周りに観測される強力な重力に飲み込まれないように、ハン・ソロが使った経路を走るには非常に速い宇宙船が必要だという。


何だ。ハン、そんなこともっと早く言ってくれなきゃ。


またある説によると、ルーカスはパーセクが距離を表す単位だと知っていたが、ハン・ソロが無茶苦茶なほら吹きで実際何を言っているのか自分でも分からないことを示す為にわざとその台詞を彼に与えたという。その証拠としては、ルークとオビ・ワンがそれを聞いて、怪訝な顔で見合わせることが挙げられる。俺はもうずっと見ていないからどんな顔をしていたのか、今は思い出せないけれど、なかなか面白い仮説だ。


いずれにせよ、10年以上前観た映画なのに、ハンの誤りに気がついたのはこんなに遅いことが悔しい。そして今までパーセクが距離を表す物理量だなんて知らなかったことも結構恥ずかしい。俺は今までの人生で、耳を塞いで、目を閉じながら一体どうやって生きてきたのだろう、という苛立たしさと切なさで些か気分が滅入る。そう思っては詮無いことだと分かっているけれど。


本題に戻る。本題とは一体なんだったっけ、と思っている方はとりあえずこれをノートに書いてください。今は分からなくてもいいですから。


宇宙科学の授業は大きな講堂で行われた。大抵の授業と同じく、講義が大体一時間半ぐらいで終わるが、その間俺の隣に座っていた三人組みがずっと喋りっぱなしだった。大きな講堂の割に音響がそれほどよくなくて、先生の話を聞き取るのがやっとだったが、頑張って何とかなった。ノートを書きながら話を聞いていると身体が他の音をシャットアウトするようだ。


教授が雑談に入っていたとき、先週新入りの留学生が言ったことについて考えていた。上智は気に入ったかと訊いてみたら、なかなか興味深い返事をしてくれた。「上智の学生って、皆高校生みたいだな。彼らがやっていることを見ると、僕が高校でやっていたことを思い出す。なんだかまだ高校に入っているみたいで大学生だとはとても信じられない。着ている服とか、雰囲気とかが大学生のと全然違うって感じがする。」話していた時は彼の言っている意味がよく分からなかったが、講堂で隣の三人が堂々とはしゃいでいるのを見ていたら、もしかしてこんなことを言っていたじゃないかな、という気がした。もう大学生なのに、講義を大人しく聞くことぐらいできないとはどういうことなんだ?義務教育なんかじゃあるまいし、話をするんだったら外でやっていてもいいじゃないか。授業に参加するつもりがないのになんでわざわざキャンパスまで来て、講堂で席を探して、一時間半そこに座っているかが、俺には理解できない。眠っている人もそうだ。出席は取らないから、小さな机の上に頭を載せて片端から眠ることには一体何の意味がある。俺にとっちゃ授業ってのは二の次だ、とあのファショナブルな髪形にすっぽり隠された頭の中で思っているのだろう。じゃあ、来るな。幸か不幸お前はもう高校生じゃない。授業に行くのは自分の責任で、行かなければ誰も叱ってはこない。


大声の三人組みの中で、一人の女性が時々話すのをやめて、黒板に書いてあるものをノートに書き写す。残りの男女二人は、先生の言っていることを馬鹿にしたりして(「教師を内心バカにすべし」、とは三島由紀夫の言葉である)、楽しく喋っている。ノートは多分後で友達から貰うのだろう。もしかして彼女が淋しくならないようにわざわざ講義まで来てくれたのだろう。気持ちは分かる。分かるけど、やはり耐え難い。そして女の子を口説くのにもっと相応しいところがあると思う(しかもあの人の舌足らずな話し方が神経に障った―死ね、この軟派野郎)。


先生が何も言わなかったが、それは日本の大学だからか、彼が甘いか、考えてみても分かり兼ねる。講堂を見回したら、俺の隣のところをじっと見ている人も何人かいて、先生がそれに気付かなかったはずがあるまい。でも結局は最後まで忠告一つしなかった。恐らく彼等に屈辱を与えたくなかったのだろう。それなら分かるような気がしなくもない。経験から言うけれど、大学生にもなって、大きな授業で皆の前で先生に黙れと言われるのはとても恥ずかしいことだ。あまりはっきり覚えていないが、俺も確かそう言われたことがあると思う。あまり恥ずかしくて忘れようとしたのだろう。記憶の代わりに、そんなことは絶対にやっちゃいけないぞ、というとても弱々しくて、恐怖で震えているような声だけが残っている。深い井戸の中から、地面を歩いている近くの人々に訴えるように。でも授業中話している時点で、もう充分に恥ずかしいことだ。先生が何も言わなかったことで、むしろそこに非難の視線を投げかけていた人が彼等のことをもっと憎んでいるのだろう。少なくとも俺にとって、彼等を見逃して自分で改心するのを期待するよりも、今散々酷い目に遭わせて後悔させた方が確実だと思う。


Freshmen. 流産し損なった奴らばかりだ。


昼食にお握り1個を食べた。そして化学と生活という講座に行ってみた。内容が面白そうだが、教授ははっきり言って授業を教えることには向いていない。まあ、最初の授業は自己紹介みたいなものだからまだそうだとは断言できないが、要するに彼は俺が先週行った物理化学の先生とは全く違う。「今は理解しなくてもいい」というところまでは同じだが、「7月までは…ええと、この式は、大体において?うん、何を表しているのか、それについては、まあ理解するまでじゃなくても、少しはそれに触れて、ですね、そして?」と言った具合で、誰かに質問しているわけでもないのにトーンをしばしば変えながら、頭が痛くなるほどゆっくりと授業を進める。そして化学の面白さとは何か、全く勘違いしている。何で化学を勉強するのかと説明しようとしたとき、結局は人が不注意と愚かさで日常生活に使う化合物質を誤用して死んだという幾つかの例を聞かせてくれた。そのように死にたくないなら化学を勉強するんだよ、と言うように。でも結局(彼も言ったように)かなりの科学的知識を身につけていないと、まさかそんなことが起こることが予測できないだろう。その前に、密室で二つの異なる洗剤を浴槽で掻き混ぜちゃ危ないだろう、という常識だけ身につけていれば大丈夫だろう、とは俺の卑見だが。


何で化学を勉強するのか。化学は面白いからだ。世の中のあらゆる物質が共通する原子を理解することによって、生きることがもっと面白くなる。勿論そんなことが全然分からなくても幸せに生きていける。我々の先祖だって生きてきたじゃないか。だが我々の世界を支配する大原則を全く知らずに死んでしまうのがとてもつまらないものだと思う。今までそうとは思わなかったが、それは俺が馬鹿だったからだ。そしてその所為で俺は今も馬鹿でいる。だから勉強する。


宇宙科学の教科書の第1章の始まりに、ハッブルの人生について書いてある。彼は大変優秀な学生で、ローズ奨学金でイギリスのオクスフォードで留学して、24歳で学位を得た。その時彼が専攻していたのは実は法学だった。そして卒業後、彼は帰国して弁護士になった。1913年のことである。だが彼は一年で弁護士の仕事に嫌気がさしてしまった。そして留学する前に学んだことのある天文学こそ自分の転職だと考えた。たとえ二流あるいは三流の天文学者であろうと、どうしても天文学者としての生涯を送りたいと、大学に入り直した。そして結局20世紀のガリレオと称えられるほど名を馳せた。でもたとえその挙句の果て彼が所詮二流の天文学者にしかならなかったとしても、とても立派な人だと思う。そんな凄い人物に自分を重ね合わせては少々思い上がりだとは百も承知だが、俺もある意味で彼と似たようなことをしているんじゃないかと思う。たとえ日本の大学で理工学部に入ったとしても、俺には才能が全くないし、馬鹿だし、授業は全部外国語で行われるし、とにかくうまく行くはずがないのだ。外国で勉強しても、凡庸だということには変わりがない。冴えない頭に加えて話し方に訛りがあるだけだ。最先端にある人たちには絶対に適わない。それでも俺はこんなことをもっと知りたい、俺はこんなことがしたい。やる気がどの程度あるのかという点においても劣っているが(100パーセク以上離れた恒星までの距離を測る方法に飢えているわけでもないし)、とにかくやりたいことがある。その点ではハッブルと似ていなくもないかもしれない。


Long story short, it was the most I ever threw up, and it changed my life forever.


よし。スター・ウォーズの話もしたし、クラスメートについて愚痴したし、ザ・シンプソンズも引用した。下らないリンクだって張った。これで俺がnerdであることには、もう疑いようがないはずだ。10ptフォント4ページだけで済んだのがむしろ不思議なくらいだ。