思い立った日が吉日 | long island sound

思い立った日が吉日

このブログを再開することにした。切っ掛けは、昨日、tylerとの会話だった。トイレで僕たちは並んで小便をしながら、いつものように日本のことを話していた。午前4時頃だった。
「日本で日記をつけなかったことを、すごく後悔してる」
「あれ?日記 ならちゃんとあったじゃないか」
「あれか?いや、でもあれはほとんど更新しなかったしね。おかげで日本で見たことや体験したこと、全部霧のようにぼやけてて、はっきりとした記憶なんて殆ど何もないよ。ただ九州への旅だけが、そのぼやけを二つに区切る読点(comma)みたいにぽつんと…」
「俺だってそうだよ。日本で過ごした一年間のことなんか、おぼろげな記憶しかないよ」
「違うよ!お前、俺がお前に何か日本のことを訊くたびに、お前はいつも延々とした返事を返すだろう?ちゃんと憶えてるじゃないか」
「それは、俺は饒舌だから。それだけなんだ」
「でもお前の話を聞いてると、俺よりお前の方がいろいろな冒険をしていたように思う」
「そりゃそうだよ。俺、全然授業に行かなかったから。それで人生の一年間がぱーになっちまった。それでもお前は羨ましいかよ。それにさ、俺の留学にはcommaは多かったかもしれないが、それは自分が抱いていたさまざまの妄想が入れ替わった点を指しているだけで、それには何の意味もない」
「でも、ちゃんと憶えてるじゃないか」
「ああ、確かにちゃんと憶えてる」


要するに日記とはいいものだ。日本から帰ってきてからもよそでブログを作ったんだけど、長くは続けられなかった。過去のことしか頭にないから、現在のことを書くのは退屈だったかもしれない。


そこで、昨日寝ようとしていたところ、いいアイディアが頭に浮かんだ。過去のことがそんなに恋しいのなら、昔のブログを甦らせたらどうだと。何も書くことがない日などは、去年か一昨年その日に起こった出来事について書けばいい。


なかなか悪くないと思うな。そう思ってアメブロをチェックしたら…

あれ?2005年2月21日、または2006年2月21日、僕は何も書いてない。


仕方なく今僕の身の回りに起こっていることに関して書きます。


翻訳作業は滞りなく続いている。冬休みの間に仕上げた下書きを、毎日2,3ページというペースで修正している。時間のかかる作業だが、遣り甲斐はあると思う。思うからこそ、翻訳優先、課題後回しという形で進めている。


2年前のこの頃も、同じようなことをやってた。つまらない授業に行くよりも、常用漢字を勉強した方がずっと大事だと思って、GPAはガクンと極端に低下した。それでもあの時自分は多分間違ってはいなかったと思うが、今度は?と思ったりもする。


出版社が受けなきゃ、全部無駄骨になっちまうからね。それに遊ぶ暇がなくなるわ、教授は怒るわ、全く大変。