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宛名のない手紙がもう一通


3.08 博多の観覧車


「Unforgettableを聴きすぎるなよ。女が欲しくてどうしようもなくなってしまうから」と、俺がナット・キング・コールを聴いているというメールに親父がそう返事した。


ということは、親父は聴く度にそう感じるのだろう?だとすると、誰のことを思うのだろう?妻か?それとも他の誰か?


でも俺にとって、「Unforgettable」より遥かに恐ろしい曲があるのだ。ミスチルの「掌」だ。あれは危険だ。


iPodから取って、もう二度と聴かない方が俺の為になるだろう。でも夜、疲れているときに散歩に出かけて、月でも眺めながら聴くのがとても好きだ。淋しさとか悲しみとか、そんなに悪い気持ちではない。それらとうまく付き合いさえすれば、ということだけど。

CALL ME CALL ME


3.07 かたく!!


携帯はこのままでいいという気持ちが日毎に募る。


復活させようと思えばドコモショップに行って料金を払うだけのことだけど、果たして今の俺には携帯が要るのか?少なくとも来学期が始まるまでは自分の世界に閉じこもって生きていくつもりだし、4月に授業が始まってもそれが変わるとは思えない。家庭教師と連絡を取るのには便利だけど、なくてもないで何とかなるだろう。むしろ携帯をこのままに放っておけば毎月料金に費やすお金を節約できるし、先月の料金を払わなくても大丈夫だからいくらか得するという訳だ。そして受験がうまくいけば一旦アメリカに帰って、何ヵ月後日本に戻る時はもっと安い携帯プランにしよう。

やや易


3.05 とまれ!!を巡る思い出


先程郵便局で日本留学試験の願書を出してきた。実は土曜日の朝に送るつもりだったが、振替で受験費を送金することが平日にしかできないらしくて願書を持ったまま帰ってきてしまった。あんなに勿体ぶっていたくせに、あっさりと失敗してしまうなんて、俺らしくていいな。


郵便局で待っていた間はずっとそわそわしていた。胸が締め付けられている感じで、呼吸が少し荒くなった。勉強は一応進んでいるが、このままではとても間に合わない。化学に注ぐ時間が多すぎるが、それを減らすわけにもいかない。また、数学のことを考えるだけで心配する。でも、これを何とか乗り越えなければならない。願書を出したことで、俺にはそうするしかなくなったのだ。


せっかくだからここでちょっと試験のことを説明する。郵便局から帰ってきても心配で勉強に集中できないままだが、ちょっと手を動かしてみれば少しは落ち着けるかもしれない。


日本留学試験。日本の多くの教育機関が入学を希望する外国人に義務づけていた日本語能力試験と私費外国人留学生統一試験(2001年に廃止)に代わって、2002年より年2回、6月と11月に日本学生支援機構JASSOにより実施されている。実際は大半の大学は未だに日本語能力試験の受験を必要としているが、受験生の日本語能力だけではなく、基礎学力の評価をも行うこの試験は大いに期待されている。従来日本語能力試験・私費外国人留学生統一試験の上に、日本への留学生は志望校が行う入学試験も受けなければならなかったが、日本留学試験で留学生は多くの面倒や受験費を免れるだろうとの考えだ。


試験の出題科目は日本語、理科(物理・化学・生物)、総合科目及び数学だが、日本の各大学が指定する受験科目を選択して受験することになっている。出題言語は日本語と英語があり、そのいずれかを受験生が選択できる。大学と学部によって受験しなければならない科目が違って、多くの大学は出題言語として日本語しか認めない。


俺が受験するのは、日本語・物理・化学・数学(コースII)だ。最初は文系の学部に入りたくて、それなら日本語・総合科目・数学(コースI)というめちゃくちゃ簡単な科目しか受けなくても良かったけど、思い直して理系にすることにした。理系なら本当に何かを学べそうだからだ。受験だって簡単じゃないし、ただ入る為に俺は沢山の新しいことを習わなくてはならない。それに、日本の大学では理系の学部から文系に変えることができるが、文系から理系に変えることは殆ど許されていない(どちらも難しくて大きな面倒だけど)。何も変えるつもりで理系に入っているわけではないし、したいことがはっきりと分かっているが、もし俺の考えは間違っていたら変える可能性があるということには少し安心するということは確かだ。


というわけで、志望校と学部を決めて、大学に指定された科目と出題言語を調べた。それからJASSOのHPでそれぞれの科目の出題範囲を調べてみた。順番に取り上げてみよう。


① 日本語…なんてね。なに、楽勝、楽勝。おい、俺のことだぜ?ここまで来て日本語なんてにビビッてたらどうすんのさ?まあ、最低限として過去の試験の問題集を見てみるけど、正直言ってあまり心配していない。だって、俺は常に日本語を勉強しているつもりだし、今更勉強しろと言われてもどうすればいいか分からない。幸か不幸か、日本語を勉強することは俺の今までの人生そのものなのだ。俺の日本語を上達させるような方法があったら俺はもうとっくにやっているつもりだ。それに日本語の試験には多少慣れている。とはいえ、実は今度の試験では今まで受けた試験にはなかった、記述という部分がある。作文を書いて、文法的能力が0~3点、理論的能力が0~3点、合計0~6点というふうにそれが評価される。なんか怖い。これを読んでいる人なら分かると思うけど、俺の書く日本語は間違いだらけだ。しかも英語に書くのだとしても、俺の話の中で理論的に合っているものの方がずっと少ないのだ。全く、だからチョコが嫌いなんだよ。地震が起こればよかったのに。


② 数学(コースII)というのは、数学を扱う学部に必要な数学で、出題範囲は日本の受験参考書でいう数学I-A・II-B・III-Cからなっている。俺は高校生向きの受験参考書を使って勉強しているが、できれば数学の基礎をしっかり身につけて来学期が始まれば上智で数学の授業に行ってみたい。


③ 物理の出題範囲は力学・熱・波動・電磁気で、これも日本の受験生が勉強するものと略同じだ。


④ 化学。これは厄介なものだな。面白いのは面白いけど、きちんと理解できるまでは多くの時間がかかるし、それに出題範囲がばらばらだからどうやって勉強していけばいいかは問題だ。同じ化学のはずだからとにかく受験参考書を勉強しているが、それで試験の問題が解けるようになれるかどうか… 他の科目なら日本留学試験対策の参考書が幾つかあるが、よりによって化学だけにはそんなのがないみたいだ。とりあえず試験ギリギリまでできるだけ化学の色々な勉強をして、最後の何週間で多くの試験問題集をどんどんやろうと考えている。もしあの時までの勉強で学ばなかったことがあっても、それを問題集でぱっと見たら、本番では何かのまぐれで解答できるかもしれない。賭け事みたいなものだけど、何しろ俺らしくていいな。

GET IT BY YOUR HANDS


3.05 中央線路


疲れたぁ~!今日はここまでにしよう。


懐かしい疲れ方だ。やはりこの勉強は漢字学習とは格が違う。何しろ勉強と暗記とは疲れ方が違うのだ。漢字を何度も書き繰り返しているうちに眠くなるが、新しい知識を吸収し、応用しようとすると疲労してしまう。こうやって新しいものを学んでいると教科書を使って日本語を勉強していた日々を思い出す。


化学と物理の勉強は順調に捗っている。予想していた以上に時間がかかっているが、内容はよく理解できていると思う。しかし問題は数学だ。初級者向きの参考書を使っているのに、頭が悪くて演習問題がなかなか解けない。


俺の親父はワルシャワ大学で博士号を取る寸前でポーランドを出発してアメリカに来た。大学時代はクラスのトップだったらしくて、要するに頭がいいというわけだ。そして親父の遺伝子を受け継いだ俺だから、理科に才能があるはずだ、とこの間親父がメールで書いた。そしてそれに付け加えて、「だが才能があっても多くの時間と努力なしには何ともならない」、と。


俺は褒められているのか?諭されているのか?奴が自慢しているのか?


確かに子供の頃は算数が得意だった。だけどあれは遠い昔の話だし、もう何年間もやっていないし、大体俺の好きな数学は大人のそれとはまるで無縁だ。


俺は計算するのが好きだった。今でも好きだ。大好きだ。本当の話、中学校の昼休みはよく(x-1)のn乗を計算していた。nに1、2、3…を順に代入して計算を書き上げるのが好きだった。しかもそれが楽しいとさえ思えた。変な趣味だと分かっているけど、実は今でも俺にとっては楽しい思い出なのだ。何枚かの紙の至るところを計算で埋めているうちに、何らかのパターンがあるだろうと思ったが、それを見出そうとしなかった。そんな難しいことを考えるよりも、ただ数と遊ぶ方がずっと好きだったからだ。皆が思っていたよりもずっと頭の悪い子供だったに違いない。そして今となって高校生が解けるような簡易な問題で首を捻っているのだ。

ニュータイプの白馬


3.03 shed w/ bikes


睡眠不足で判断力がどんどん落ちてく。寝るか寝ないかと迷っているうちに、いつの間にかブログを書くことに?


とにかく物事を真剣に考えちゃいけない。


今日特に面白いことは何一つも起こらなかった。少しガンダムを観たってことぐらいかな。人質を取ろうとした敵のパイロットが造作もなく主人公たちにやっつけられ、ぶっ飛ばされながら「こうもやすやすとやられるのか?!」と叫んだシーンがあった。次の瞬間に彼のMSが爆発し、彼が死んでいた。名前も知らないパイロットがその一話にわたって主人公たちの船を悩ませたが、結局はその数少ない言葉しか何も遺さずに彼はあっさりと殺されたのだ。


やはり人の死に方って大事だなと思った。ちゃんとした計画がないと、最期をみとる時は迂闊にふと「こうもやすやすとやられるのか」と言い出してしまうかもしれないからね。


俺の最後の言葉?それは死ぬ時がくるまで分かりっこない。でも万一気の利いた科白を思いつけない場合には、俺は「やはり」にすると思う。多分どんな死に方だとしても適合するだろう。