long island sound -4ページ目

♪眠りのない夜を♪  ♪数え切れず過ごした♪

俺の使っている数学の受験参考書のHPによると、今週はゴールデン・ウィークだそうだ。よかったな。火曜日授業をサボったが、実は休講だったかもしれない。まあ、どうでもいいけど。とにかくこれで明日も行かなくても大丈夫って訳だな。


今晩は結構惨めな気分だが、頑張ってさわやかなアップデートを書きましょう。


受験勉強の調子は?順調ですよ。いつの間にか日本語と並んで数学が得意科目になりかけている。数学の部分には選択形式でない問題もあって、出鱈目な解答で得点することはまずあり得ないから、この成り行きでとても助かる。それに、数学の得点範囲はとても広くて、高得点を獲得できれば大変有難い。


それで?試験はうまく行けそうなの?ハハ、馬鹿を言うな。そんなはずがないさ。数学の勉強がやっと軌道に乗ったって、もう手遅れだし、結局最初から無理だったってもう分かっているさ。勉強なんて、殆ど暇潰しでやっている。他にやることがないだけだ。


今使っている参考書がとても分かりやすくて好きだ。このまま同じ出版社の本を使って勉強していくつもりだが、問題は、試験日までの時間でどれだけ勉強できるかを計算していた時、受験レベルの問題が解けるようになるまでの時間を些か短く見積もりすぎてしまった。確か3月10日に「今日で数学の勉強もついに軌道に乗り、このペースを保ちさえすれば6月までは東大入試レベル問題でも解けるようになっているだろう」と言ったな。自信過剰もいいところだ。結局次の日にどうしても理解できなかったことがあって、見事に躓いてしまった。ざまあ見ろ、馬鹿。


とにかく朝になったらちょっと紀伊國屋に寄ってみようかな。最初の計算に、俺が今勉強している超基礎の参考書と、試験まで勉強しておきたい受験レベルの参考書との間にもう一つの階段があることに気付かなかったから、まずそれを調べてみたい。4冊だけなので、少し頑張れば何とかなるんじゃないかなと思う。多分無理だろうけど。


情けないって?男ならもっと自信を持てって?そうだな。


絶対に100%無理に決まっている。


では、今日はここまでにしよう。みんな、よく頑張ったね!次回もまたさわやかな更新を書くから、期待してくれていいよ。それじゃ、みんな元気で… 。さようなら・・・。

下書き

午前4時半。勉強の真っ最中、前触れもなくペンを放り投げ、ワードを開き、作業にかかる。


♪も、え、あ、が、れ もえあがれ♪
♪燃え上がれ ガンダム♪(♪ニュィニュィニュィニュィニュィニュィニュィニュィ♪)
♪君よ 走れ♪


♪まだ 怒りに燃える 闘志があるなら♪
♪巨大な敵を 討てよ 討てよ 討てよ♪
♪正義の怒りを ぶつけろ ガンダム♪
♪機動戦士 ガンダム ガンダム♪


♪デュデュデュ♪デュデュー♪

♪た、ち、あ、が、れ たちあがれ♪
♪立ちあがれ ガンダム♪(♪ニュィニュィニュィニュィニュィニュィニュィニュィ♪)
♪君よ 叫べ♪


♪まだ 絶望に沈む 悲しみあるなら♪
♪恐怖を払って 行けよ 行けよ 行けよ♪
♪渦巻く血潮を 燃やせ ガンダム♪
♪機動戦士 ガンダム ガンダム♪


♪シィーイアウゥー♪ドゥドゥドゥドゥドゥドゥドゥ♪ドゥドゥドゥドゥドゥドゥドゥドゥ♪


♪ニュィニュニュニュィニュニュニュィニュニュニュィニュニュニュィニュニュニュィニュニュ♪

♪ダンダン♪ダンダン♪DANDAN!!♪♪


♪よ、み、が、え、る よみがえる♪
♪甦る ガンダム♪(♪ニュィニュィニュィニュィニュィニュィニュィニュィ♪)
♪君よ 掴め♪


♪まだ 愛に震える 心があるなら♪
♪平和を求めて 翔べよ 翔べよ 翔べよ
♪銀河へ向かって 翔べよ ガンダム♪
♪機動戦士 ガンダム ガンダム♪



うん。イケる。明日は「シャーが来る」をやろう。


♪今はいいのさ全てを忘れて♪

♪一人残った傷づいた俺が♪

♪この戦場で 後に戻れば地獄に落ちるぅ~♪


♪シャー!シャー!シャー!♪


嗚呼、シャー・・・


・・・


さて勉強すっかぁ~

Period!

本当は書きたくなんかないけど、筆記しておきたいことがあって仕方なくブログを更新することになった。


今日神社の前を歩いていたら蝉の鳴き声が聞こえた。ただそれだけだ。


蝉の鳴き声は春の到来を意味するとどこかで聞いたことがあるような気がする。或いは夏の到来だったかもしれない。今一確信が持てないが、とにかくそのいずれかを告げているから、書き留めようと思った。


夏か春か、調べようと思えば簡単だが、いざとなるといつも東京のオトウサンのことを思い出してやめる。


何故彼のことを考えるとそうなるのか、と自問する。分からない。でも散歩の続きをしながら仮説を提起してみた。結論から言うと、誤解されるのに一番手っ取り早い方法とは、まず口を開くことだ。オトウサンとの短い付き合いから学んだことがあったとしたら(この場合、「万が一」という表現より正確な言い方はなかろう)、実にそれだと思う。


で、それが蝉のこととは何の関係があるかというと、実はあまりないと思う。


でもまあ、それじゃ話にならないから、適当なこじつけで因果関係を無理に作ってみよう。


例えば、俺がバーに行って、カウンターに座って注文したとしよう。バーテンとカンタンな会話を始めて(ここは何時までですか、とか)、周りの人に日本語は少しできることを見せ付ける。そうすると、その中に外国人と話したがっている人がいれば、そいつは必ずやってくる。そうでなければ少し後バーテンは声をかけてくれるはずだ。それでも駄目だったら一杯飲んでから梯子して、次のバーで試してみる。それがいつものパターンで、会話練習をするのに一番確実な方法だ。1ヶ月近く酔いっぱなしだった俺が言うには間違いないと思う。


そうやって会話が始まる。最初の20分ぐらいは必ず俺の話になってしまう。どんなに嫌がっても初対面の人ならいつも同じ質問に答える羽目になる。その答えを事前にプリントアウトして、プリントを持ってバーを巡る方が幾分楽だろうが、勿論そうするわけにもいかない。だから退屈しないようにバーによって違う返事をすることにしている。質問を順番に書けば大体次のようになる。


① なんでそんなに日本語がうまいか。(厭味に聞こえるが、逆に訊かれないときは不安になったりもする。馬鹿ねぇ~)
② どこで、何年間日本語を習ったか。(これについてだけは本当のことを言う。日本に来て最初の数ヶ月、人は俺の変事を聞くなり愕然としてしまったが、月日が経つにつれてそのびっくり度がどんどん下がっていく。日本で生活している時間が長くなっているくせにあまり上達してないからねぇ)
③ 本当か。
④ どこの出身か。(ニューヨークと答えると、反応は必ずこうだ。「ニューヨーク…(1.6秒)カッコイイねぇ」100%間違いなく、どんな人間でも必ずそんなふうに言うのだ。まさか、とあなたは思うかもしれないが、これは誇張じゃない。日本人の間には多少の差はあるにせよ、この一点を中心に一つの民族は繋がっているんだなと、つい感心してしまう)
⑤ 日本で何をしているか。
⑥ 何で日本に来ようと思ったか。
⑦ 日本はどう思うか。


大体そういう感じかな。そんなどうでもいいことに20分も費やしてしまうと思うとさすがに嫌気がさすが、バーで会話練習をしている自分の方が悪いし、それが一通り終われば次は楽しい話が始まるという時もあるから(今考えてみるとない方が多いような気がするけど)、一応我慢する。


で、これは蝉のことと一体何の関係があるか、と貴方は思うかもしれない。


Hey, fuck you, buddy. 黙って聞いてろ。それができなきゃ出ていけ。


Christ!


とにかく、20 questionsが終わったら今度は何か別の話をする。そして暫く話してから、遅かれ早かれ沈黙がやってくる。相手によってそれが来るまでの時間とその性質は異なる。10分も経っていないうちに会話が破綻して気まずい二人の間に沈黙が生じるときもあれば、2時間目を光らせながら話せるだけ話してから、温かい沈黙がくるときもある。


ここまでは事実の話だ。そしてここからは仮説だ。


例えば、その会話の中で、あるいはその沈黙を破るべく、俺はこう発言したとしよう。
「今日蝉の鳴き声が聞こえたんです。もうすっかり夏ですね」
バー巡りで集めたデータを基に、それに対して相手は恐らくこう言うと予測できる。
「おう、よく知ってるね」
そして、内心は多分(データによる解析じゃないが、多分)「なに日本人振ってんだ、気持ち悪い」と思うのだろう。或いは「こいつわざと自分の豆知識を見せびらかしてるんだな、カッコ悪いな」と。


そうときたら、やはり自分から蝉の話をしない方が良さそうだ。でも逆に誰かが「蝉が聞こえるようになったね」とか、「桜が開花しましたね」とか言っても、「そうですね」と返事してはいけない。そうすれば「何でそんなことも知ってるの?」と訊かれるのがおちだから。「いや、本で読んだことがあるんだ。蝉の声が聞こえるってことは、春だってことでしょ」「へえ、凄いね。日本人よりよく知ってるんだ、凄い」なんて言いながら、実は内心俺を責めているに違いない。伝統的な食べ物や習慣、概念などに関連する表現をする人は、大体こう思って言っているのだ。「ここは一つ、外人に面白いもん教えてやろう」そんなときに、俺が黙って知らないふりをした方が、彼らは得意気な気持ちになれるし、いい雰囲気を醸し出すから最適だ。それに気付くまで何度も「そうですね」と答えてしまい、知らないときに「え?何のことですか」と訪ねていた。訪ねられたときの反応と、相槌を打たれたときの反応と比べてみれば、前者の方が圧倒的に好意的に見えた。まあ、当然の話だが。


とにかく、日本語で話していると、知るべきものと知るべきでないものを考慮して会話に臨んだ方がより快適な会話をつくると思う。


で、これは蝉のことと一体何の関係があるか。


要するに、俺はそんなことを知らない方が良いということだ。日本に来て一年も経っていない俺が知るようなことではない。知った方が不自然で、嫌がられる。実際、オトウサンとの初対面のとき、彼は俺と話して、俺が自惚れていると思ったそうだ(教えてくれたのは3ヵ月後だった)。俺が日本の文化のことを全く知らなかったら果たしてそうなったのか。言い換えれば、俺は日本語が話せなかったらそうなったのか。


俺はその会話で、何度も自分の日本語が下手糞だと主張していた。それが悔しいとさえ言った。そして(前のホストファミリーがそう教えてくれたように)、僕の日本語にはトゲが一杯あって、人をかっとさせるところがあると思うので、もし僕の言うことでむかついてしまったら、黙まって怒っていないで、僕を注意してくださいとさえ頼んだのだ。だが俺はそんなことを言うと、彼らはいいえ、そんなことはないですよ、とても上手ですよと言った。でも内心彼らは思っていた。「この人、なんて自惚れているんだ」どうやらその会話で、彼らは俺が自分の日本語力を自慢していたと勘違いした。そしてホームステイが始まって数週間後、俺が「そもそも」という絶対悪の呪文を口にして、オカアサンはそれにひどく傷ついた。そして俺に黙ってオトウサンのところに行ったという。するとオトウサンは彼女を慰め、1ヶ月後それについて二人は俺を非難した。声のトーンが悪かっただの、心が充分伝わらなかっただの、それはどれほどひどいものだったのか、何十分も俺に説明した。何故もっと早く言ってくれなかったのかとオカアサンに訊いてみると、「だって、あんなに傷ついたんだもん」というような言い訳をしただけだ。


オカアサン。貴方はまだ生きているのでしょうか。


話はとんでもない方向に行ってしまったようだな。要するにこういうことだ。


俺は日本語を勉強するのが好きで、つまらない人とコミュニケートするのを好まない。


うん、そうだな。多分そうだと思う。


やはり、そんなつまらないオトウサンに負けずに、蝉のことを調べよう。


…夏でした。


「セミ(蝉)は、カメムシ目(半翅目)・頚吻亜目・セミ上科(Cicadoidea)に分類される昆虫の総称。夏に鳴く昆虫として知られている。」(Wikipediaより)


(苦笑)全く、何でこんな馬鹿なことの為にわざわざこんなに書いたんだよ?!はいよ、俺の下らない愚痴、4ページ分。あったかいうちにどうぞ。毎度あり。


最初から書き直そう。


今日神社の前を歩いていたら蝉の鳴き声が聞こえた。もうすっかり夏のようだね。Little circle!

just keeps getting longer, folks

火曜日ということで、11時に授業に行った。宇宙の科学(for dummies)。宇宙科学の最先端の研究を、文系の人間に分かっていただけるように、カンタンな言葉で説明する講義である。教授は伊藤直紀という飛びっきり素敵な人で、教壇に立った途端に俺は一目惚れしてしまった。赤い綿のベストにツイード・ジャケット。度の強そうなでかい眼鏡。手をポケットの縁にかけながら講義を行う。特に必要がないのに英単語を沢山使うのがトレードマーク。「星、starね」


この授業は非常に面白かったし、教科書も(伊藤直紀著)楽しく読んでいる。文章のまわりにある余白がちょうど俺好みで、内容も今まで勉強した物理学でも充分理解できる。波はとことん勉強しておいたので、宇宙における距離の測定方法についての話が一層面白くなる。でも、世の中の万物についてもそうであるように、俺は多分内容があまり理解できていないと思う。勿論ある程度は理解しているつもりだ。漢字が読めるし、単語の意味も一応分かっていると思う。理論としてもあまり難しくない。そうか、ハッブルはドップラー効果の原理を踏まえて宇宙の膨張を測定したんだ、など納得したり、なるほどと思ったりもする。


だが俺は3年間日本語を勉強してきた人間だ。納得することと理解することが全く違うことぐらい、もう分かってるさ。なあに、こんなときに「は」、こんなときに「が」を使えばいいだろう?そんなの簡単さ、と思えば実は全く逆だったりしてさ。一度聞いたくらいで分かったって?そんなうまい話があるものか。何かを本当に理解するまでは延々に分かろうと苦労しなければならない。そしてそれでも間違えてしまう。


セファイド型の規則変光星の明るさが一定で変化していて、その周期はどのセファイド型の星に関しても明るさの変化と同じ関係にあるのだとしたら、なるほど観測できる距離(100パーセク)以内の星Aの放出する光とその範囲外にある星Bの放出する光を比較してみれば、100パーセク以上離れている位置にあるBまでの距離が求められる。まあ、当然と言えば当然だろう、と思ってちらっと図を見て、ページをめくる。でもそんなこと、明日目が覚めたらもう忘れているに違いない。三角測量?何じゃ、そりゃ。


ちなみに1パーセクは約3.26光年である。


そう言えば、スター・ウォーズ にはこんな台詞があったっけ?


"It's the ship that made the Kessel run in less than twelve parsecs!"


ハン・ソロが愛機のミレニアム・ファルコン号について自慢しているシーンだが、教科書でパーセクの定義のところを読んでふとこれを思い出した。おやっ?パーセクが距離の単位だというのに、なんで距離が定かであるはずのレース・コースに対して使っているの?近道でもしたのか?それじゃ自慢にならないじゃないか。


インターネットで調べてみたらこれはジョージ・ルーカスのミスだったというのが有力説だ。しかしExpanded Universeというスター・ウォーズの世界を設定に書かれた小説シリーズでは、或いはこのミスを補うべく、例のケセル・ランとハン・ソロの失言に関しては説明があるらしい。ケセル星を出発点にするケセル・ランの付近にブラック・ホールの群集があるらしくて、歪められた重力や重力の特異点(光がのみ込まれる所)など、さまざまな危険を避ける為に長くて複雑な経路を航行しなければならない。しかし我武者羅なハン・ソロは、ブラック・ホールの間を擦り抜け、安全なルートより遥かに短い12パーセクという距離でケセル・ランを見事に走り抜いたという。特異点の周りに観測される強力な重力に飲み込まれないように、ハン・ソロが使った経路を走るには非常に速い宇宙船が必要だという。


何だ。ハン、そんなこともっと早く言ってくれなきゃ。


またある説によると、ルーカスはパーセクが距離を表す単位だと知っていたが、ハン・ソロが無茶苦茶なほら吹きで実際何を言っているのか自分でも分からないことを示す為にわざとその台詞を彼に与えたという。その証拠としては、ルークとオビ・ワンがそれを聞いて、怪訝な顔で見合わせることが挙げられる。俺はもうずっと見ていないからどんな顔をしていたのか、今は思い出せないけれど、なかなか面白い仮説だ。


いずれにせよ、10年以上前観た映画なのに、ハンの誤りに気がついたのはこんなに遅いことが悔しい。そして今までパーセクが距離を表す物理量だなんて知らなかったことも結構恥ずかしい。俺は今までの人生で、耳を塞いで、目を閉じながら一体どうやって生きてきたのだろう、という苛立たしさと切なさで些か気分が滅入る。そう思っては詮無いことだと分かっているけれど。


本題に戻る。本題とは一体なんだったっけ、と思っている方はとりあえずこれをノートに書いてください。今は分からなくてもいいですから。


宇宙科学の授業は大きな講堂で行われた。大抵の授業と同じく、講義が大体一時間半ぐらいで終わるが、その間俺の隣に座っていた三人組みがずっと喋りっぱなしだった。大きな講堂の割に音響がそれほどよくなくて、先生の話を聞き取るのがやっとだったが、頑張って何とかなった。ノートを書きながら話を聞いていると身体が他の音をシャットアウトするようだ。


教授が雑談に入っていたとき、先週新入りの留学生が言ったことについて考えていた。上智は気に入ったかと訊いてみたら、なかなか興味深い返事をしてくれた。「上智の学生って、皆高校生みたいだな。彼らがやっていることを見ると、僕が高校でやっていたことを思い出す。なんだかまだ高校に入っているみたいで大学生だとはとても信じられない。着ている服とか、雰囲気とかが大学生のと全然違うって感じがする。」話していた時は彼の言っている意味がよく分からなかったが、講堂で隣の三人が堂々とはしゃいでいるのを見ていたら、もしかしてこんなことを言っていたじゃないかな、という気がした。もう大学生なのに、講義を大人しく聞くことぐらいできないとはどういうことなんだ?義務教育なんかじゃあるまいし、話をするんだったら外でやっていてもいいじゃないか。授業に参加するつもりがないのになんでわざわざキャンパスまで来て、講堂で席を探して、一時間半そこに座っているかが、俺には理解できない。眠っている人もそうだ。出席は取らないから、小さな机の上に頭を載せて片端から眠ることには一体何の意味がある。俺にとっちゃ授業ってのは二の次だ、とあのファショナブルな髪形にすっぽり隠された頭の中で思っているのだろう。じゃあ、来るな。幸か不幸お前はもう高校生じゃない。授業に行くのは自分の責任で、行かなければ誰も叱ってはこない。


大声の三人組みの中で、一人の女性が時々話すのをやめて、黒板に書いてあるものをノートに書き写す。残りの男女二人は、先生の言っていることを馬鹿にしたりして(「教師を内心バカにすべし」、とは三島由紀夫の言葉である)、楽しく喋っている。ノートは多分後で友達から貰うのだろう。もしかして彼女が淋しくならないようにわざわざ講義まで来てくれたのだろう。気持ちは分かる。分かるけど、やはり耐え難い。そして女の子を口説くのにもっと相応しいところがあると思う(しかもあの人の舌足らずな話し方が神経に障った―死ね、この軟派野郎)。


先生が何も言わなかったが、それは日本の大学だからか、彼が甘いか、考えてみても分かり兼ねる。講堂を見回したら、俺の隣のところをじっと見ている人も何人かいて、先生がそれに気付かなかったはずがあるまい。でも結局は最後まで忠告一つしなかった。恐らく彼等に屈辱を与えたくなかったのだろう。それなら分かるような気がしなくもない。経験から言うけれど、大学生にもなって、大きな授業で皆の前で先生に黙れと言われるのはとても恥ずかしいことだ。あまりはっきり覚えていないが、俺も確かそう言われたことがあると思う。あまり恥ずかしくて忘れようとしたのだろう。記憶の代わりに、そんなことは絶対にやっちゃいけないぞ、というとても弱々しくて、恐怖で震えているような声だけが残っている。深い井戸の中から、地面を歩いている近くの人々に訴えるように。でも授業中話している時点で、もう充分に恥ずかしいことだ。先生が何も言わなかったことで、むしろそこに非難の視線を投げかけていた人が彼等のことをもっと憎んでいるのだろう。少なくとも俺にとって、彼等を見逃して自分で改心するのを期待するよりも、今散々酷い目に遭わせて後悔させた方が確実だと思う。


Freshmen. 流産し損なった奴らばかりだ。


昼食にお握り1個を食べた。そして化学と生活という講座に行ってみた。内容が面白そうだが、教授ははっきり言って授業を教えることには向いていない。まあ、最初の授業は自己紹介みたいなものだからまだそうだとは断言できないが、要するに彼は俺が先週行った物理化学の先生とは全く違う。「今は理解しなくてもいい」というところまでは同じだが、「7月までは…ええと、この式は、大体において?うん、何を表しているのか、それについては、まあ理解するまでじゃなくても、少しはそれに触れて、ですね、そして?」と言った具合で、誰かに質問しているわけでもないのにトーンをしばしば変えながら、頭が痛くなるほどゆっくりと授業を進める。そして化学の面白さとは何か、全く勘違いしている。何で化学を勉強するのかと説明しようとしたとき、結局は人が不注意と愚かさで日常生活に使う化合物質を誤用して死んだという幾つかの例を聞かせてくれた。そのように死にたくないなら化学を勉強するんだよ、と言うように。でも結局(彼も言ったように)かなりの科学的知識を身につけていないと、まさかそんなことが起こることが予測できないだろう。その前に、密室で二つの異なる洗剤を浴槽で掻き混ぜちゃ危ないだろう、という常識だけ身につけていれば大丈夫だろう、とは俺の卑見だが。


何で化学を勉強するのか。化学は面白いからだ。世の中のあらゆる物質が共通する原子を理解することによって、生きることがもっと面白くなる。勿論そんなことが全然分からなくても幸せに生きていける。我々の先祖だって生きてきたじゃないか。だが我々の世界を支配する大原則を全く知らずに死んでしまうのがとてもつまらないものだと思う。今までそうとは思わなかったが、それは俺が馬鹿だったからだ。そしてその所為で俺は今も馬鹿でいる。だから勉強する。


宇宙科学の教科書の第1章の始まりに、ハッブルの人生について書いてある。彼は大変優秀な学生で、ローズ奨学金でイギリスのオクスフォードで留学して、24歳で学位を得た。その時彼が専攻していたのは実は法学だった。そして卒業後、彼は帰国して弁護士になった。1913年のことである。だが彼は一年で弁護士の仕事に嫌気がさしてしまった。そして留学する前に学んだことのある天文学こそ自分の転職だと考えた。たとえ二流あるいは三流の天文学者であろうと、どうしても天文学者としての生涯を送りたいと、大学に入り直した。そして結局20世紀のガリレオと称えられるほど名を馳せた。でもたとえその挙句の果て彼が所詮二流の天文学者にしかならなかったとしても、とても立派な人だと思う。そんな凄い人物に自分を重ね合わせては少々思い上がりだとは百も承知だが、俺もある意味で彼と似たようなことをしているんじゃないかと思う。たとえ日本の大学で理工学部に入ったとしても、俺には才能が全くないし、馬鹿だし、授業は全部外国語で行われるし、とにかくうまく行くはずがないのだ。外国で勉強しても、凡庸だということには変わりがない。冴えない頭に加えて話し方に訛りがあるだけだ。最先端にある人たちには絶対に適わない。それでも俺はこんなことをもっと知りたい、俺はこんなことがしたい。やる気がどの程度あるのかという点においても劣っているが(100パーセク以上離れた恒星までの距離を測る方法に飢えているわけでもないし)、とにかくやりたいことがある。その点ではハッブルと似ていなくもないかもしれない。


Long story short, it was the most I ever threw up, and it changed my life forever.


よし。スター・ウォーズの話もしたし、クラスメートについて愚痴したし、ザ・シンプソンズも引用した。下らないリンクだって張った。これで俺がnerdであることには、もう疑いようがないはずだ。10ptフォント4ページだけで済んだのがむしろ不思議なくらいだ。

修羅場と化す

やったぁー!YES!! Thank you, God!! ハハハハ、やったぜ!


今は本当に、ホントに嬉しい。最高に嬉しい。5分ぐらい心に染み込むような、腰のある達成感をじっと味わって、ワードを開く。ほら、ひ・ら・く!ハハハハ、実に良い。


何があったかというと、勉強をしながら辞書のソフトで単語を調べようとして、キーボードを見ずにキーを押していたら、何かの間違いでキーボードの入力設定が狂ってしまった。キーの表面に書いてある仮名をそのまま入力する(例えば「A」のキーを押せば「ち」がでてきたりして)ようになってしまった上に、「789UIOPJKLM」というキーを押しても何故か数字しか出てこなかった。俺のバイオのキーボードでは、そのキーには金色で数字が書いてあるが、入力方法をどうやって換えるかが分からず、問題を解決するべくヘルプの検索機能を使おうにも使えなかった(そのキーを使わずに「キーボード」、あるいは「自殺寸前」を入力することができなかったから)。元通りにする為に30分もヘルプを読んでみたが、謎の金色文字については何も書いていなかった。


俺は自分のことを(少なくともパソコンに対して)割と我慢強い人だと思っている。たとえどんなに悩まされてもスクリーンを叩いたり、パソコンに向かって叫んだりはしない。キーボードはいつも一定の強さで打つ。でもこの時はさすがに参った。一瞬怒りと挫折でこのポンコツバイオを窓から放り投げようとさえ思った。しかしそれはいけないことだ。バイオは甥じゃない。それを2階の窓から放り投げては決して許されないことだ。


半分パニック状態で、キーを無闇に押し始めた。幼児がテーブルに座って不器用に手を上下して卓上を叩くように、キーボードをぶちのめした。俺の力の前では抵抗は無意味だ、降伏しろ、といわんばかりに、酷い打撃を繰り広げた。


それが数分続いたところで、バイオはさすがにくたびれていて、もう少し素直になっていた。それから俺は二つのキーを同時に押してみたりした。Ctrlを押し続けながらキーボードを上から一列また一列、左から右へと押しつぶしてみた。そうすると実にいろんなことが起こる。暇な方はどうぞやってみてください。ワードが面白くなります。


とにかくそれを続けてみたらAltでやった時にやっと元に戻った。Alt。オマエは俺の仲間だ。


今日はイースターだそうだ。クリスチャンの新寮生(一言、変人)が復活祭の礼拝に誘ってくれたが、勉強のこともあって断った。礼拝なんてもう何年間も行っていないし。


イースターといえば、俺のうちでは皆が集まって豪華なポーランド風の朝食を食べるのだ。茹で玉子やらサンドイッチやら3,4種類の腸詰やら、結構派手にやる。それ以外は特に何もしないが、姉はいつも卵を塗ったり、イースターエッグハントを実行しようとしたりする。テンションの低い一家の中で彼女だけはいつも場を盛り上げようとしている。何故あんなにしつこく流れに逆らうのか、俺にはさっぱり理解できない。復活祭には無理矢理にエッグハントをする。誕生日にはプレゼントを贈る。クリスマスに飾りをつける。勿論誰も彼女にそんなことをして欲しくなければプレゼントも欲しくないが(しかも文字通り最悪のプレゼントを贈るのだ。母に「永遠の若さ:完全シワ対策」という本をあげたことを覚えている。そういう嫌味っぽいものか訳の分からないものばかりだ。その99%は本だ。彼女はまさか本人がそれを読むなんてことは思っていない。タイトルの為の本だ。)、それでも姉はやめない。


姉のことを考えると、次はいつも甥のことを考える。今はどうしているものか。大体の想像がつく。おそらくテレビゲームに熱中していたところを姉に引っ張られ、エッグハントをさせられているだろう。もっと若い頃はイースターで興奮したりしていたかもしれないが、10歳にもなってそれはオンボロの祝日でしかないということに気付いているだろう。なにしろクールな男だ。甥は時にすごくむかつかせてくれるが、基本的にあいつのことは好きだ。いつかは俺を越えて、殺してもらいたいものだ。期待している。


テレビゲーム。甥は可哀想だな。テレビゲームをする権利は尊いものだ。それに蹂躙する資格は姉にはない。それができる人はこの俺だけだ。「どけぃ!」と彼を蹴飛ばして、彼の頭で2階の窓がバシャーンと粉々に割る。放物運動。2回のバウンド。


テレビゲーム。この頃大人たちに激しく批判されているとやら。俺の2度目のホストファミリーのオトウサンも、それが最近日本の若者の堕落の原因の一つだと言っていた。空想の世界で、時間の無駄遣いで、やり過ぎると価値観が狂い、現実を受け入れることができなくなってしまう、というのは彼の意見だった。そして娘もファミコンが欲しいなんて僕に一度も言ったことがない、と彼はいかにも得意気に言った。「僕だってよくやりましたよ。そして今となっても全然平気」That shut him up. そう言ったら俺を直接責めるしか反論の仕様がなくなる。Brian 01 – Otousan 00.あの時はもうホームステイが終わると分かっていたので、彼の偏狭さに対して我慢することはなかった。


確かにテレビゲームはくだらない。何百、何千時間もやっているうちに貴重な時間が無駄に過ぎ去ってしまうだけだ。その時間でスポーツとか勉強とか、或いは単に友達と遊んだりしていたら、多くのものを学び、どんどん成長していくことができたのに。残念だな、と大人は思う。


でもテレビゲームって、楽しいんだよ。それはそれで良いんじゃないかと俺は思う。甥が好きなだけやれば良い。或いは何かしたいものが見つかったら、彼はあんなに多くの時間を無駄にしたことを悔しがるかもしれない。俺だって日本語を勉強し始めてから何年間はそう思っていた。畜生、あの時間を使って勉強していたら…!と。でも当時はそうじゃなかった。


週末は朝早く起きて、シリアルを2階のテレビの前まで運んで、ワールドマップを移動しながら朝飯を食べた。そして昼になったらピザを食べに行って、帰ってきたらまたやった。暗くなったらもう一度外食した。昼はピザだったならば夕飯には必然的にチャイニーズフードということになっていた。そして食べ終わったらまたゲームに取り組む。眠くなったらセーブして電源を切り、コントローラを丁寧に片付けてから三階に上ってベッドに潜り込んだ。そして思った。「今日は結構進んだな。もう少しで新しい技を取得するかも」


結局俺はこんなになってしまった。欠陥商品。駄目人間。テレビゲームの所為だったかどうか、それは誰にも分からない。でも本人としては、人生をやり直すことができても、やはりまたテレビゲームで遊ぶと思う。何回リセットしても同じようなことをすると思う。


その理由を訊かれても困る。でもとにかく人生の何年間をテレビの前で過ごしたことはあまり後悔していない。自分のことが根本的に好きだからだと思う。愚かで人間の失格だ。でもどことなく面白い奴だ。You can’t hate the guy.